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大阪高等裁判所 昭和60年(ネ)2037号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取消す。

2  被控訴人は、控訴人に対し、金一、〇〇〇万円及びこれに対する昭和五九年一月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え(当審において減縮)。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

との判決並びに第二項につき仮執行宣言。

二  被控訴人

主文と同旨の判決。

第二  当事者の主張

当事者双方の主張は、左記のとおり付加するほか、原判決の事実摘示と同じであるから、これを引用する。

一  控訴人の補足主張

1  被控訴人は、昭和五七年一〇月一五日、控訴人との間でなした人工妊娠中絶手術に関する診療契約に基づき、控訴人に対し、優生保護法の指定医である産婦人科医師として、現代医学の水準に則した知識、技術を駆使して右人工妊娠中絶手術(以下、本件手術という)を適切に実施するとともに、本件手術の前後を通じて控訴人の症状に応じた適切な診断及び治療を施し、患者である控訴人の生命、身体の安全保護を図るべき義務を負担していた。然るに、被控訴人は、右義務を懈怠して不完全な診断及び不適切な治療をなし、その結果控訴人は同年一〇月二五日卵管破裂による大出血を来たし、大量の輸血を余儀なくされ、その後血清肝炎に罹患するに至ったものである。

2  被控訴人の前記義務懈怠の内容は次のとおりである。

(一) 本件手術前における誤診

昭和五七年一〇月一五日の時点において、控訴人は客観的には子宮外妊娠であったことが明らかである。それにもかかわらず、本件手術前において、被控訴人は控訴人を内診のみで正常妊娠八週と確定診断したが、この点が被控訴人の最大の誤診である。

本件当時、控訴人の最終月経日は同年九月五日であったから、本件診断日の同年一〇月一五日の時点においては、妊娠週数は五週と五日とすべきであった。それにもかかわらず、被控訴人が控訴人を妊娠八週と確定診断したのは、右診断時における控訴人の子宮体の大きさが鵞鳥卵大であったことからである。被控訴人の子宮体の大きさは妊娠週数のバロメーターであるとの考えから右の診断をしたものと思われるが、子宮体の大きさには個人差があり、子宮の病気(子宮筋腫その他)等の影響によっても差異を生ずるのであるから、内診の触知による子宮体の大きさのみで妊娠週数を確定診断することが許されないことは、いわば自明の理であるのに、これを盲信して右診断をなしたものである。

又、子宮外妊娠においても、子宮体の増大、軟化傾向、膣粘膜の色の変化、分泌物の変化等において正常妊娠と同じような症状を呈する可能性があるから、産婦人科医師としては、内診のほか、適宜エコー検査等の補助的診断を実施して妊娠場所の確認を行うなど内外妊娠の鑑別に努めるべきであるところ、被控訴人は右のような措置を採ることなく、正常妊娠八週と即断した。

以上のように、被控訴人は、控訴人を正常妊娠八週と誤診し、控訴人の子宮外妊娠に疑いを抱くに至らなかったものである。

(二) 本件手術中及び手術後の誤診

本件においては、控訴人は子宮外妊娠であったのであるから、子宮内容物中には絨毛組織はありえないものである。にもかかわらず、被控訴人は、視認検査だけで絨毛組織が存在したとして、中絶手術同意書(乙第一号証の一)にその旨の記載をしたが、これも誤診である。右乙第一号証の一の記載は、医師者二四条の診療録の作成、保存義務の法意に照らした場合、極めて簡略化されており、内容も粗雑であるから、右記載に信を措くことはできない。

又、被控訴人は、前記のとおり、控訴人を正常妊娠八週と確定診断したのであるから、子宮内容物について胎児、胎盤の存在を確認すべきが当然であるのにかかわらず、この点の確認を怠ったものである。右確認の作業を怠らなければ、自己がなした「正常妊娠八週の確定診断」が誤診であることに気づいた筈である。そして右誤診に気がつけば、その後において控訴人の症状を慎重に観察して諸種の検査を行うなり、あるいは所見に応じて診察を行い、その結果、子宮外妊娠を発見できた筈である。右の点も誤診である。

更に、本件は子宮外妊娠であったのであるから、中絶手術の前後にわたって子宮内腔長の測定をしておけば、手術後の子宮内腔の長さいかんにより、「正常妊娠八週の確定判断」が誤診であることがわかった筈である。そして、右誤診に気がつけば、子宮外妊娠の疑いをもつことが可能となり、その後において慎重に症状を観察し、諸種の検査をなし、あるいは所見に応じて診察を行えば、控訴人の子宮外妊娠を発見することができた筈である。この点もまた誤診である。

3  本件は、被控訴人が産婦人科医として遵守すべき前記義務に従った適切な診断を行っていれば、控訴人の子宮外妊娠を発見することができたにもかかわらず、これを怠り、安易に控訴人を正常妊娠八週と確定診断するという誤診をなし、それに基づいて本件手術を実施し、かつ、本件手術後における処置をも誤ったため、遂に子宮外妊娠であることに気づくに至らず、控訴人に被害を及ぼしたものである。

二  被控訴人の補足主張

1  控訴人の前記主張は争う。

2  本件手術前の診断、措置について

(一) 昭和五七年一〇月一五日の診断時点において、控訴人が子宮外妊娠であることを疑うべき状況は何ら存在せず、従ってそのための諸検査や経過観察等を行うべき義務は被控訴人にはなかった。

子宮外妊娠は、その中絶(着床部位の破裂)を来たすまでは無症状、無所見のものが多く、又、正常妊娠と異なった症状や所見も殆どないため、問診、外診、内診等により子宮外妊娠を疑わせるような特別な状況がない限り、通常、エコー検査等の補助的診断法による子宮外妊娠かどうかの鑑別診断は行わないものである。

本件診察時の内診所見では、子宮が柔らかくなっていないとか、卵管腫脹とかの異状はなかったし、不正性器出血、下腹痛等の症状もなかったのであり、被控訴人において控訴人の子宮外妊娠を疑うべき事情は何ら存在しなかったのであるから、被控訴人が各種検査による補助的診断法の実施や子宮外妊娠鑑別のための経過観察を行わなかったからといって何ら控訴人主張のような義務違反はない。

(二) 又、被控訴人は、控訴人が主張するように、子宮体の大きさのみで控訴人を正常妊娠八週と確定診断したものではない。子宮体の大きさのほか、柔らかさ、膣粘膜の色や分泌物などの子宮体の変化と患者である控訴人から最終月経の申告等を総合的に検討して妊娠週数を判定しているのである。しかし、医師の診断する妊娠週数も必ずしも正確なものではなく、妊娠週数の診断はある程度の裁量の幅をもったものである。従って、本件診察時に格別子宮外妊娠を疑わせるような具体的事情がない以上、右のような必ずしも正確でない、幅のある妊娠週数の判断から直ちに子宮外妊娠の疑いを抱くべきか否かを決定づけることになるものではない。

3  本件手術中及び手術後の措置について

被控訴人が実施した本件手術は完全であった。

本件カルテ(乙第一号証の一)によれば、本件手術の結果、絨毛組織が確認されたことは明白な疑いようのない事実である。控訴人が主張するような、絨毛組織が存在しなかったとすべき証拠は全くない。

除去された子宮内容物中に絨毛組織を認めたということは、胎児を認めたということと同等の意義があるのであり、子宮内妊娠と確定診断をすることができるものである。

右のとおり、絨毛組織を確認できれば、それで十分であるから、控訴人主張のような、子宮内容物の組織検査、尿検査の実施義務や具体的な胎児、胎盤の確認義務あるいは手術前後にわたる子宮内腔長測定義務はないのである。

これを要するに、控訴人は子宮内外同時妊娠であったというべきである。

4  以上のとおり、昭和五七年一〇月一五日の本件手術時において、控訴人に子宮外妊娠を疑わせるような事情は全くなかったから、被控訴人は子宮外妊娠を予見すべき義務はなかったし、手術後において被控訴人は絨毛組織を確認しているのであるから、被控訴人に何ら責められるべき点は存在しない。

被控訴人は産婦人科の開業医として平均的な方法で診断を行い、控訴人の希望に応じて本件手術を実施し滞りなくこれを終ったものであって、控訴人主張のような義務違背は何らない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

そして、原審における被控訴人本人尋問の結果によると、被控訴人は優生保護法第一四条第一項による指定医師であることが認められる。

二  診療契約の成立について

控訴人が昭和五七年一〇月一五日被控訴人診療所を訪れて被控訴人の診察を受けたこと、被控訴人が控訴人を診察した結果、控訴人を妊娠八週と診断したこと、そこで控訴人が被控訴人に対し人工妊娠中絶の手術を求め、被控訴人がこれを承諾したことは当事者間に争いがない。なお、〈証拠〉によると、控訴人は同年九月末頃から同年一〇月初め頃にかけて予定の月経がなかったため、妊娠を疑い、その有無、妊娠の場合には人工妊娠中絶手術の施行を求めるために夫とともに被控訴人診療所を訪ねたところ、被控訴人により右のとおり妊娠八週である旨の診断結果を告げられたので、妊娠中絶を決意し、同人に対し右中絶手術の施行を受けたい旨申入れたものであることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

そうすると、控訴人と被控訴人との間において、同日、人工妊娠中絶手術(本件手術)に関する診療契約が成立し、被控訴人は控訴人に対し、右診療契約に基づき本件手術を適切に実施するとともに、本件手術の前後を通じて控訴人の症状に応じた適切な診断及び治療をなして母体の回復、安定、保護を図るべき義務を負担するに至ったものというべきである。

三  被控訴人の債務不履行(不完全履行)について

1  被控訴人が、同年一〇月一五日、前記診療に基づき、控訴人に対し本件手術を実施したことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によると、控訴人は、本件手術後の同月二五日早朝より激しい下腹痛に襲われたので、堺市内の清恵会病院に入院し、諸検査の結果、子宮外妊娠をしており、左卵管が破裂したものであることが判明し、直ちに開腹手術を受けたところ、腹腔内に約二四〇〇c・cの出血があったこと、右開腹手術の際多量の輸血が行われた結果、その後控訴人は急性肝炎(輸血後肝炎)に罹患し、羽曳野市内の羽曳野病院において治療を受けるのやむなきに至ったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

2  ところで、控訴人は、前記のとおり、本件手術当時控訴人が子宮外妊娠であったことは明らかであるから、被控訴人としては、本件手術前、手術中又は手術後のいずれかの時点において、控訴人が子宮外妊娠であることを確定診断し、これに対処するための適切な治療行為をなすべき義務があったのにかかわらず、これを正常妊娠と誤認し、その後の処置を誤ったため、控訴人に対し右のような被害を及ぼしたものである旨主張するので、以下、控訴人の主張する具体的業務違反の有無について判断する。

(一)  本件手術前における誤診について

(1) 臨床上子宮外妊娠を疑うべき場合について

〈証拠〉によると、子宮外妊娠(大部分は卵管妊娠)は妊娠早期に遅くとも三ケ月位までに中絶(破裂)を起こすことが多いが、中絶前の子宮外妊娠は殆んどの場合において自覚的、他覚的に特有の症状に乏しく、自覚的徴候としての無月経、悪心、嘔吐、他覚的徴候としての子宮体の増大、柔軟化、膣粘膜の色の変化、分泌物の変化等の症状において正常妊娠の早期症状と変るところはなく、臨床上、正常妊娠であるか、破裂前の子宮外妊娠であるかの鑑別は極めて困難であり、卵管妊娠をその破裂前に意図的、計画的に診断することは不可能に近いこと、しかし、稀に内診(双合診)によって子宮附属器(卵管部)に腫大等の異常な抵抗を触覚(内診による卵管部の異常の触知は極めて困難である。)したり、炎症所見が得られたり、又、子宮体の増大傾向が認められないとき(子宮体が妊娠週数に比して増大が少ないとき)などの場合には、子宮外妊娠(子宮外妊娠が生ずる割合は1%程度である。)を疑うべき場合として、尿検査などの補助的診断法を実施するなど慎重な対応が要請されること、従って問診、内診(双合診)によって妊娠を診断することができ、かつ、他に右の如き異常な点を認めないときは、子宮外妊娠であるか否かの鑑別診断を行うことなく、これを正常妊娠と確定診断して、爾後はこれに対応する医療処置を進めるのが臨床上の常道であり、実態であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

(2) 本件診断時の状況について

〈証拠〉によると、被控訴人は、同年一〇月一五日、本件手術に先立ち、問診、内診(双合診)によって控訴人を診察したところ、現症として、最終月経日から同年九月五日、子宮体は柔らかく、その大きさは鵞鳥卵大、附属器は異常なく、子宮膣部はきれいであり、膣粘膜は紫藍色、分泌物は普通(ミルク様)であるとの所見を得たほかは、控訴人から自覚症状につき特段の訴えもなかったので、正常妊娠八週と確定診断したこと、そして被控訴人は右の確定診断をするに当っては、尿検査、エコー検査などの補助的診断法を実施して診断を行ったものではないことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(3) 卵管部(ラッパ管)の異常の有無について

卵管部に異常が認められるときは、前叙のとおり、一応、臨床上において子宮外妊娠を疑うべき場合であるとされているところ、本件診断時において控訴人は前記のとおり客観的には子宮外妊娠をしていたのであるから、卵管部に異常が生じつつあったであろうことは否定し難いところであるが、前記認定のとおり被控訴人は内診(双合診)によっても控訴人の卵管部(子宮附属器)に腫大その他の異常を認めなかったのであるから、前叙臨床上の実態に徴すると被控訴人がこの時点において控訴人の子宮外妊娠を疑うべきであったということにはならないのであり、正常妊娠と診断してこれに対処したとしても、何ら非難されるところはない。被控訴人は卵管部の異常を速やかに覚知し子宮外妊娠を疑うべきであったとする控訴人の主張は採用し難い。

(4) 子宮の増大傾向の有無について

妊娠週数に比して子宮の増大が伴なわない場合は、一応、子宮外妊娠を疑うべき場合であるとされていることは前叙のとおりであるところ、控訴人は、昭和五五年の手術の際には妊娠週数七週で子宮体の大きさがこぶし大であったが、本件手術時には妊娠週数八週と前回よりも進行していたのにかかわらず、子宮体の大きさは鵞鳥卵大と逆に小さかったのであるから、被控訴人としては子宮の増大傾向がない場合として子宮外妊娠を強く疑うべきであるのにこれを看過した旨主張する。

〈証拠〉によれば、被控訴人は本件手術前に昭和五三年四月一二日と同年五五年一二月三日の二回にわたり控訴人に対し人工妊娠中絶の手術を行ったことがあること、前回の昭和五五年の妊娠中絶手術の時には控訴人は正常に妊娠していたが、その際被控訴人が作成したカルテ(乙第三号証の一)には妊娠週数七週、子宮体の大きさはこぶし大で、普通の大きさに比して少し大きい旨記載されていること、本件手術の際に作成されたカルテ(乙第一号証の一)には妊娠週数八週、子宮体の大きさは鵞鳥卵大と記載されていることが認められ(本件手術前に被控訴人が二回にわたり控訴人に対し人工妊娠中絶手術を行ったこと及び本件手術前の診察の結果、控訴人の子宮体の大きさが鵞鳥卵大であると認められたことは、当事者間に争いがない。)。右認定を左右するに足る証拠はなく、又、当審鑑定人倉智敬一の鑑定結果によると、妊娠週数に対応して子宮体の大きさも変化するが、通常の妊婦における両者の関係は、妊娠七週末(妊娠二ケ月末)において子宮体の大きさは約鵞鳥卵大(直径七センチメートル程度)、妊娠一一週末(妊娠三ケ月末)において約手拳大(直径八センチメートル程度)、妊娠一五週末(妊娠四ケ月末)において約小児頭大となることが認められる。

そして、以上の事実よりすれば、本件手術の際には昭和五五年の手術の際よりも控訴人の妊娠週数が進行していたのに、却って子宮体の大きさは小さく、一見、控訴人主張の如く、子宮の増大傾向がない場合に当るものの如くに認められないではない。

しかしながら、〈証拠〉によると、妊娠週数は最終月経の開始した初日から起算することになっており、月経日は妊娠本人の申告によるところ、昭和五五年の中絶手術の際の控訴人の申告による最終月経日は同年一〇月二六日(但し、それが初日か終日かは不明)であったから、右中絶時の妊娠週数は満五週と三日目になり、本件手術の際の控訴人の申告による最終月経日は昭和五七年九月五日(但し、それが初日か終日かは不明)であるから、本件手術時の妊娠週数は満五週と五日目(但し、〈証拠〉によると、本件手術前における、控訴人の最終月経は同年九月一日に始まったものと推認するのが相当であるから、これによれば妊娠週数は満六週と二日目となり、これが本件手術時点における控訴人の正確な妊娠週数と認められる。)になり、控訴人の申告による限り右各中絶手術時における妊娠週数には殆んど差がないこと、しかし、最終月経日は右のとおり妊娠本人の申告に基づいて決定されるところ、本人の記憶の誤りや月経出血を誤認して申告することもあり、あるいは故意の虚偽な申告もあるため、医師も時に妊娠週数の診断を誤ることがあること、そこで医師は、右誤診を避けるため問診に際して、最終月経時の状況の確認に努めるのを常としているが、診察の結果に照らし妊娠週数の修正を行う必要に迫られることもあること、妊娠週数の修正は通常内診によって前叙の妊娠各週に相当する子宮体の大きさと比較勘案することによって行われるが、子宮体の大きさには個人差があり、又、その大きさの判定は触診という主観的方法によって行われるため、この臨床常用診断法にも一定の限界があり、その診断結果も必ずしも正確とは言い難い面があること、従って医師の妊娠週数の診断はある程度の裁量の幅をもったものにならざるをえないことが認められる。そして、右認定事実よりすれば、本件手術時における控訴人の妊娠週数は、より正確には、最終月経日を基準とする満六週と二日目(既に七週目に入っている。)というべきであるところ、被控訴人はこれを満八週と診断したものではあるけれども、前記のとおり被控訴人が内診において控訴人の子宮体を鵞鳥卵大に触知したことは明らかであり、又、子宮体には個人差があり、控訴人の子宮体は前記のとおり普通人よりも大きかったというのであるから、これらの点よりすれば被控訴人が妊娠週数八週と診断したとしても、医師の診断の裁量範囲内のものというべく、誤診とまでは断じ難く、又、本件手術時において控訴人の子宮体が増大傾向を欠いていたものとも言えない。

そうすると、被控訴人が本件診断時において子宮体の変化の異常を理由に控訴人の子宮外妊娠を疑うべきであったということはできないのであり、正常妊娠八週としてこれに対処したとしても、何ら非難されるところはないというべきである。

控訴人の前記主張は理由がない。

(5) エコー検査について

以上のとおり、本件診断時においては、控訴人について子宮外妊娠を疑うべき特段の事情が認められなかったのであるから、被控訴人において本件手術前にエコー検査などの補助的診断法を用いて鑑別診断を行うべき義務はなかったものというべきであるところ、控訴人は、更に、産婦人科医師が妊娠診断の際に、患者の自、他覚症状のいかんにかかわらず、エコー検査を行うべきことは、優生保護法の指定医師である開業医として当然に尽すべき診断手順である旨主張する。

しかし、〈証拠〉によると、エコー検査は、子宮外妊娠に対する補助的診断法の一つとして、臨床的経過から子宮外妊娠が疑われる場合、それを確診ないしは除外するために必要な方法として意義を有するものではあるが、これを用いてする子宮外妊娠の鑑別は必ずしも容易ではなく、この検査法を用いて胎嚢あるいは胎児を証明するためには妊娠時期の制約があり、子宮外で胎嚢あるいは胎児をみつけることは大へん難しく、その発見率は六ないし四四パーセントに過ぎないといわれており、常に的確な診断が可能とは限らない上に、かなりの熟練が必要であること、妊娠診断に当ってエコー検査をスクリーニング検査(分別のための常用検査)として、自、他覚症状のないものに対しても、すべての妊娠について妊娠の初期(及び中期、後期にも)に実施すべきであると主張する説があるけれども、そのようなことは大学病院の一部で研究的に試行されているに過ぎず、臨床の実地で広く行われている方法ではないこと、エコー検査に用いられる超音波断層診断装置の、昭和五七年当時における優生保護法の指定医師である開業医における普及率は、大阪府下においては四五パーセントであり、富田林市内の各産婦人科医院には未だ十分に普及しておらず、被控訴人も当時これを所持していなかったことが認められ、右認定に反する証拠はない。そうすると、妊娠診断に当りエコー検査を行うことが優生保護法の指定医師である開業医として当然に尽すべき診断手順であるとは言い難く、被控訴人が本件手術前にエコー検査まで実施して子宮外妊娠の確定診断をなすべき義務があったものと言うことはできない。

(二)  本件手術の過程及び手術後における誤診

(1) 絨毛組織の有無について

控訴人は、本件手術後、手術の完了を裏付けるために、被控訴人としては除去した子宮内容物中における絨毛組織の存否を確認すべきであったところ、控訴人は前叙のとおり子宮外妊娠であったのであるから、右子宮内容物中には絨毛組織が存在することはありえないにもかかわらず、被控訴人は視認検査だけで絨毛組織が存在するものと判断したのは誤診である旨主張する。

しかし、本件手術後の控訴人の子宮内容物中に絨毛組織が存在しなかったと認めるに足る証拠はない。

却って、〈証拠〉によれば、被控訴人は、昭和五三、四年頃から、人工妊娠中絶に関しては、便宜、当該手術についての同意書の裏面をカルテとして使用し、診療上の必要事項をこれに記録し、手術後に絨毛組織の存在を確認した場合は、直ちに「絨毛組織(略語をもって表示する。)〈+〉」と同書面に記載してきたこと、被控訴人は、本件において、吸引器を使用し、子宮内容物を吸引除去する方法による手術を行ったのであるが、右手術後、あらかじめ水を入れた吸引びん中に吸引した子宮内容物につき肉眼検査を実施し、絨毛組織の存在を認めたので、同意書の裏面(乙第一号証の一)に「絨毛組織〈+〉」と記入したものであることが認められ、右事実によれば、本件手術後の控訴人の子宮内容物中に絨毛組織が存在したことは明らかといわねばならない(なお、控訴人は、乙第一号証の一の記載は、医師法二四条の法意に徴し信用し難い旨主張するが、同第一号証の一は前記のとおり人工妊娠中絶手術同意書の裏面を用紙として利用したものであって、カルテの書式としては簡便に過ぎ、又、その記載も簡略であることは否定し難いけれども、当審証人倉智敬一の証言によると、人工妊娠中絶手術に関する診療録として具備すべき必要最小限度の診療事項は記録されており、その内容も相当であることが認められるから、乙第一号証の一は措信するに足るものというべく、控訴人の右主張は採用し難い。)。

控訴人の主張は理由がない。

(2) 組織検査及び尿検査の要否について

控訴人は、被控訴人は本件手術当時右眼が失明し、左眼の視力も低下していたから、万全を尽すために子宮内容物の組織検査をし、更に中絶手術後の妊娠反応を調べるために尿検査を実施すべきであった旨主張する。

被控訴人の右眼が失明し、左眼の視力が低下していたこと及び被控訴人が右各検査を実施しなかったことは当事者間に争いがないところ、原審における被控訴人本人尋問の結果によれば、被控訴人の左眼の矯正視力は〇・七であり、被控訴人は本件手術当時年間五〇件前後の人工妊娠中絶手術を行っていたが、本件手術の場合と同様に毎回吸引した子宮内容物について絨毛組織(妊娠週数八週頃であれば、水に浮かすと長いもので〇・七ないし〇・八ミリメートルである。)の有無の確認を支障なく行っていたことが認められるから、被控訴人は本件手術の場合においても子宮内容物を肉眼をもって観察し、絨毛組織の存在を十分識別、診断することができたものと推認される。

ところで、〈証拠〉によれば、絨毛組織は、通常、子宮内容物を肉眼で観察することによって容易に識別し得るものであるが、透明な水に浮かべれば観察、識別がし易くなり、水中観察でもなお不明確な場合には顕微鏡標本を作成して点検することが相当であること、本件の場合、前記認定の被控訴人の観察診断の経過からみて、組織標本を作成しなかったとしても不当ではないこと、又、中絶手術後の尿検査は、手術により除去した子宮内容物中に絨毛(又は胎児あるいは両者)を認めえなかった場合に、当該患者が果して本当に妊娠していたかどうかを確認する目的で施行されたものであること、そして除去された子宮内容物中に絨毛組織を認め、その量も当該妊娠週数と比較して相当と考えられた場合には術後に妊娠反応を尿について実施する必要はなく、臨床実地上もこのような検査はいずれの医療機関でも行われていないことが認められる。

以上の事実によれば、被控訴人は、前叙のとおり、本件手術後の肉眼検査により、控訴人の子宮内容物中に絨毛組織を認めたのであるから、更に控訴人主張の如き子宮内容物の組織検査や尿検査を実施すべき義務があったものということはできない。

控訴人の右主張は理由がない。

(3) 胎児、胎盤の確認について

控訴人は、被控訴人は本件手術後において手術の完了を裏付けるため子宮内容物について胎児、胎盤の存在を確認すべきであったのに、これを怠った旨主張する。

しかし、〈証拠〉によれば、一般に人工妊娠中絶手術の完了の有無の確認は、子宮内容物について果して絨毛組織又は(及び)胎児が含まれているか否かを確認することによってなされること、そして子宮内容物について絨毛組織が認められれば、それは胎児を認めたことと同等の意義を有し、それによって子宮内妊娠を確定診断することができることが認められるところ、前叙のとおり、本件手術においては控訴人の子宮内容物中に絨毛組織の存在が明らかに確認されたのであるから、被控訴人は更に子宮内容物について胎児、胎盤の存在を確認する措置を講ずべき義務があったものと言うことはできない。

控訴人の右主張は採用し難い。

(4) 子宮内腔長の測定について

更に、控訴人は、被控訴人は本件手術の前後において控訴人の子宮内腔長の測定をしておくべきであった。

右測定をしておけば控訴人の子宮外妊娠に疑いをもつことが可能であったのに、これを怠った旨主張する。

〈証拠〉によれば、子宮内腔長の計測は子宮内容物除去術実施の直前と直後に行われるが、術前実施の目的は子宮の大きさを内面から計測するとともに子宮の傾斜の方向(前屈、後屈の状態)を知り、併せて子宮壁の強靭さを確かめる点にあり、術後計測の目的は計測値の縮小をもって子宮内容物の排除及び子宮収縮の度合いを検査する点にあること、しかし子宮腔長の増大及び縮小の対比によって子宮外妊娠であったか子宮内妊娠であったかを判定することは極めて困難であることが認められるのであるから、被控訴人が本件手術の前後において控訴人の子宮内腔長の計測をした形跡は認め難いけれども、これをもって控訴人の子宮外妊娠を発見するに至らなかった誤診の原因とすることはできない。

控訴人の右主張は採用し難い。

(三)  〈証拠〉によると、人工妊娠中絶手術時に絨毛組織が確認されたにもかかわらず、極めて例外的に(全分娩例の三万例に一例の割合、又は子宮外妊娠五〇〇例中二例の割合あるいは子宮外妊娠六一〇例中四例の割合による発生頻度である。)子宮内外同時妊娠という現象を示すことがあり、この場合には中絶手術後も子宮外妊娠が残存するが、その診断は極めて困難であること、そして本件は、前叙のとおり昭和五七年一〇月一五日の本件手術によって絨毛組織が認められ、その後同月二五日に清恵会病院において開腹手術を受けたところ子宮外妊娠による左卵管破裂であったことが判明した症例であって、これらの臨床経過及び開腹所見からすると、子宮内外同時妊娠であったことを否定できないことが認められる。右認定事実によれば、本件手術当時、控訴人は症例の稀有な子宮内外同時妊娠をしていたものと推認するのが相当である。

(四)  そうすると、被控訴人には、本件手術前、手術中又は手術後において、控訴人が子宮内外同時妊娠であることを確定し、これに対処する適切な治療行為をなすべき具体的注意義務を負担していたものとは言えず、被控訴人に控訴人主張の如き本件診療契約上の債務不履行があったとすることはできないものと言うべく、控訴人の主張は失当である。

四  以上のとおりとすれば、控訴人の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却するべきである。

よって、右と同旨の原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 長久保武 裁判官 諸富吉嗣 裁判官 梅津和宏)

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